logo


gozen
† amazon†
Kagrra/ カグラ
gozen
発売日:2005/11/23
参考価格:¥3,150
価格:¥2,775 OFF : ¥375 (12%)
※この情報は、2009/10/15 22:34のものです。
妖しの光

琴の音色を彷彿とさせるギターストリングス、音の広がり、一志のファルセットと、
力強いヴォーカルが混ざった第一幕、「妖しの光」。

鈴鹿御前という鬼に纏わる物語を一志により脚色された[gozen]という作品に、
引き摺りこむような壮大な音の構成が行われている。

第一幕、妖しの光…世に災いをもたらす"何か"が現れ、
正体の解らない何かは光を放ち、軌跡を描く。その光はやがて、鈴鹿山へと向かい飛んでいく。
[gozen]という物語は、光を皮切りに展開していく。

眼を覆う滴るような 輝き眩しく 眼光を舐め廻して黄泉路へと
光は何処へと導く 光は冥府へと手招く 軌跡は遠く鈴鹿の山へ

諷説

和の雰囲気も漂わせつつも、硬派なロックテイストが強く、
カッコイイと感じさせるギターサウンドと、光が降り注ぐかのようなSEが、
歌詞の雰囲気を盛り上げるストレートナンバー。

第二幕、諷説(フウセツ)。
朝廷は坂上田村麻呂に討伐を命じ、大軍を率いれ、鈴鹿山へと向かう。
しかし、霧が立ちこめ、道を見失う。
坂上田村麻呂は父親の言葉を思い出し、神仏に祈りを捧げる。

祈りは天に届き、光が描いた軌跡の先への道が開かれた。

時は唯無情に過ぎて 真実をまた遠ざける
時は唯無情に過ぎて 絶望をまた近付ける

風に 揺れて

異邦境

諷説からの流れが非常に気持ちの良い、疾走感溢れるロックナンバー。
ライヴを意識されたような緩急の付け方で、
特にサビが気持ちいいぐらいの解放感のあるメロディが聴きどころである。

第三幕、異邦境(イホウキョウ)。
光の先は、異邦境とも思える不思議な場所。
その光景は昔話で聞いたような崑崙の地(こんろんのち)は、
現世でいうところの極楽、天国のような場所であった。
夢にいるかのような不思議な感覚に酔いしれつつも、歩いたその先には御殿。
神仏の力を借り、坂上田村麻呂は御殿へと攻める。

光よ再び集え この身を熱く滾らせ
総ての悪しき陰共 この手で滅ぼし給う

神世の力を秘めて 三種の神器忍ばせ
伐つべき鬼の砦に 未来はこの掌に

鬼戦

ダークなテイストながらも、決して盛り上がりが強いわけではないメロディ。
どこか昂揚感を感じさせるものの、中途半端に取り残された感覚の残る「鬼戦」。
その正体はこの曲が歌詞を意識されたものであり、あえて疑念を漂わせるメロディラインだからである。

第四幕、「鬼戦」
御殿にいたのは、美しき鈴鹿御前…しかし、やがてその風貌はみるみると変わり、
鬼としての本性を現す。坂上田村麻呂率いる軍隊は鈴鹿御前と一戦を交える。
一太刀与え、切り裂いた十二単から覗く鈴鹿御前の身体に、坂上田村麻呂は異変に気付き、
太刀を止める。その身体は、機械仕掛けの体であった。

造られた鼓動知らぬ妾に 血の廻る其方歯車を止めて


秘慥

ダークで特にデジタル色が強くKagrra初のダンサブルな曲、「秘慥」。
一志のバックコーラスが、より「秘慥」という曲の混沌とした雰囲気を漂わせ、
聴覚を掴んで離さない。

第五幕、「秘慥(ヒゾウ)」
やがて鈴鹿御前は自分の出生を語りだす。
鈴鹿御前という存在は、大獄丸という大きな鬼に造られた鬼であること。
そして、愛も、夢も持たず生き、
神にさえ疎まれた存在として生まれ堕ちたことも。

愛を持たぬ者は 夢も観る事無く
愛を知らなければ 夢は遂がれて

成れの果てに待つは 無惨たる伽樂汰
神に疎まれて鬼と生りえず

幻憶

琴の音色のように奏でられるシンセサイザーの音と、バンドサウンドの絡みが心地よい「幻憶」。
鈴鹿御前の中に眠る、『生』という感覚を表現されており、綺麗ながらどこか儚さを感じさせる。

第六幕、「幻憶」
鈴鹿御前は、坂上田村麻呂に生前の記憶が皆無であり、

今はもう、心があるのかさえも解らず、温もりも感じない身体で、
天に還ることさえ出来ない存在であることを語り、嘆く鈴鹿御前。

やがて、坂上田村麻呂は、討伐すべき相手は、
大獄丸であると決心し、討伐へと向かう。

そしてこのとき、互いに気付かなかったことが一つあった。
互いに敵意とは別の感情の動き。その感情の変化に対する言葉を。

そっと瞳を閉じれば滲む贖罪の雫 空に身を翳せば薄く浮かぶ記憶

きつく抱き寄せても伝う温もりを知らず 髪を撫でられられても瞑る瞳赤く


骸の砦

鬼戦とは違う、ダークサウンド。昂揚感を感じさせるメロディと、
背筋をなぞるかのようなおどろおどろしいベースとヴォーカル。
大軍の士気を高ぶらせる掛け声や、闇の中を手探りに大獄丸を探す展開と複雑な展開を見せる。

大獄丸の討伐へと向かう。五感を研ぎ澄まし、朽ち果て、
帰ることが出来ないかもしれない死闘が繰り広げられ、やがて、大獄丸の首を撥ね、
坂上田村麻呂は彼女の元へと戻る。このとき、影で、鈴鹿御前の身に異変が起こっていることも知らず。

面賦せて片膝起てて闇に融けた塊の眼は
行きはよいよい帰らせはせぬ 詞無くもそれを伝える

我が身が朽ちて動かねど 怨みの念いは果たさん

悲恋鬼談

大獄丸が無事征伐され、鈴鹿御前の元に戻ると、
彼女の身に異変が起きたことに気づく。
大獄丸の"呪"によって保たれていた「鈴鹿御前という存在」が、
大獄丸を討ち取ったことにより均衡が崩壊し、魂が消滅していくのだ。

坂上田村麻呂と鈴鹿御前の二人は、このとき、互いに感じていた感情の正体を知る。
それは「愛情」という感情であるということを。
最後、鈴鹿御前は人として「愛情」を抱けたことに涙し、その存在を消す。

死別という悲しみの溢れるバラードながらも、どこか幸せを抱き、
天に召されている雰囲気が、一志の優しいファルセットによって演出されている。

哭き濡れても届かない 遥か遠く
呼び掛けても還らない 瞳伏せて

限りの無い悲しみは 何処へ向かう
拭い切れぬ愛しさは 何処へ向かう


闇に引き摺りこまれる鈴鹿御前の魂を、
坂上田村麻呂は神仏の力を借り、死の世界へと飛び込む。

彼女が抱いていた切なさや淋しさを全て受け入れ、
その愛溢れる腕に鈴鹿御前を抱き、現世へと連れ戻す。

「悲恋鬼談」で消滅した鈴鹿御前の命を取りとめるべく、
死の世界へと飛び込む坂上田村麻呂の、
力強くも愛情で溢れているのは一志だけでなく、
Kagrraとしてのバンドの一丸により表現されていることを感じさせる「命(みこと)」。

かけがえの無い其方を強く強く抱き寄せ… 想い馳せるままに
運命紡ぐままに 愛溢れる此の腕で強く強く抱き寄せ

終焉の季節

鈴鹿御前を現世に連れ戻すものの、坂上田村麻呂は大獄丸にかかった"呪"が、
鈴鹿御前に残っていることに気づく。

現世に存在出来るのは、とある樹に残った「最後の一葉」が散るまでという"呪"であった。
残された呪によって得た、限りある命。最後の一葉が散るその時まで、
坂上田村麻呂と鈴鹿御前は、愛情を抱き、最後のその時まで、幸せに過ごした。限りある命の限り。

[gozen]を締めくくる、壮大なバラード。限りある命に対する幸せを感じさせる美麗のメロディ。
これまでの歌詞を読み解くことで、最も深みが変わってくれるだろう、「終焉の季節」
Kagrraの実力が確かに培われており、
そのポテンシャルに見合った素晴らしい作品を締めくくる最良のバラードである。

吹かないで葉を揺らす風 行かないで大地を飾る紅葉
唯今は悲しみも刹なさも哀れみも憎しみも全てを棄てて

吹かないで葉を揺らす風 行かないで大地を飾る紅葉
唯今は廻り行くこの日々を数え暖かな胸に抱いて

せめて終わり告げる雪が掌を濡らすまで この命が果てるまで


my evaluation


個人的にはKagrra,のインディーズ時代の傑作と一押し出来るアルバム。
まず今回、全体的なサウンドがDTMという特殊なレコーディング方法を行っており、
ヴァーチャルリズムなどデジタル要素が強いのが最大の特徴である。

デジタルと聞くと無機質に感じがちだが、
Kagrraとしてのバンド要素や和テイストは健在で、持ち味を活かし、
さらに、[gozen]というKagrra初の複雑かつ壮大な物語を一枚のアルバムとして凝縮している。

アルバムの歌詞の挿絵には、歌詞の物語を描いたイラストがあり、
歌詞を読み解くことでその深みも感じられるところもポイントだ。

ただし、「歌詞を楽しめる」は、歌詞を読める人の意見で、
逆説すると歌詞を読まない人には、敬遠されがちな難解な世界である感は否めない。

しかし、個人的にKagrraのインディーズ時代の傑作と一押ししたいアルバム。
なお、上記の歌詞解釈は雑誌のインタビューにも掲載されている内容なので、
興味がある方はインタビューが掲載されたヴィジュアル系専門誌のバックナンバーを用いて、
読み解いても十分楽しめる作品である。

何の前置きも無いと理解し難い歌詞ではあるが、是非、歌詞を読み、
全てを読み解いた瞬間に感じるアルバムの物語の深さ、
音の展開の芸術性を是非味わって頂きたい。マニアックながらも最高の和の世界を約束する。