ヴォーカル石井秀仁が過去の作品をリメイク…というよりは、完全な新曲並みにアレンジ。
石井宅の換気扇の音などいろいろな音をサンプリングして、音を酷く劣化させ、
エフェクトをかけ、「ギロチンが落ちるーッ!!」とシャウトする酷いサウンドとなっている。
一般のJ-POPとか聴きそうなリスナーが聴くと、おそらくまっさきに気持ち悪さが先行しそうな音ではあるが、
ジャケットを見ると妙に、『…あ、カリガリらしいな』と思わせる何かがある気持ち悪さがある。
アンナオ ドウカボ
ワリカタ クダケハ
ダケハシ タスケテ
タクナイ クダサイ
コミカルなんだけれど、サウンド自体、カオス・クレジーなベースラインをした「嘔吐」。
「マグロ」と「発狂チャンネル」のもっと先に向かったかのようなクレイジーな部分があるが、
ライブでは定番曲であるこの「嘔吐」。不協和音を全力で示しました!と言わんばかりの気持ち悪いベースメロディや、
極悪非道のギターのメロディで、本当に全てが酷く電波ソングになっている。
長時間何回もこの曲聴くと頭がおかしくなったり、
親が来ると変な雰囲気になったりと問題作となっているが、嫌がらせみたいに耳につく。
ムカついたから殺して、ウ●コにしようと思ったけれど、かわいそうだから吐いてあげよう…という、
ナンセンスを極めた歌詞。ちなみに青さん曰く、歌詞がひらがななのは、ノリらしいです。
きょうもおそとはおひさまがぽかぽか
かぜさんがそよそよさんぽすれば
おはなばたけにはあかしろきいろが
にこにこだからあそびにいこう
架空ライヴハウスにして録音した作品。
これも、…なんといったらいいか解らないような曲なんだけれど、とりあえず「春」にしかやらない作品。
歌詞も散文詩的なもので、解読が困難。とりあえず、ヴィジュアル系っぽい単語並べたような感じも否めない。
毬をつく子供達 幸せの予感
満たされるエロティシズム
アルペジオギターと秀仁のヴォーカルのみの曲で駐車場で響く弦の音のエコーが、
水槽に入った感覚に聴こえて幻想的な感覚になるのは、わざわざ地下駐車場で録音した、実験作の賜物だろう。
子供のときに飼っていたペットの魚、死んで川に流すのだけれど…流れていく死骸と思い出。
子供ながらに感じた死。エコーがより一層寂しい気持ちを際立たせる曲。
寒い空気が支配する朝 僕は腐った魚をつれて川へ
流れて行くよ さらさらと 僕の思い出も流れて行け・・・
明るく、爽やかな曲調である「オヤスミナサイ」であるが、歌詞は…愛する人との逃避行。心中である。
よく出来た作り笑いを浮かべる友人・世界と決別するために先の見えない暗く、狭く、遠い道を通っていく。
愛する人がいれば何もいらない、自分達を拒絶する世界とは決別を、それでは、「オヤスミナサイ」。
世界は眠る 僕らを忘れ 僕らは歩く 世界を捨てて
良くできた作り笑いを 浮かべる友達へ
最後の言葉を告げよう 『オヤスミナサイ』
第二実験室という過去の出口を出て、上を見上げればよく晴れた夏の空。蝉の声、五月蠅い扇風機の音。
過去との決別。自分自身の昔の殻…昔のカリガリであった自分(桜井青)を握りつぶした新しい今の桜井青。
もうここに帰ってくるんじゃないよ。ノリで音楽をやるんじゃなく、
新しい朝に歩き出せるような心でいなさいという、自戒のメッセージ性がある曲。
桜井青の美メロがふんだんに散りばめられた曲で夏限定となり、歌詞の書き方が同一人物とは思えないほど、
バンドマンとして、そして作詞家としての言葉選びも魅せてくれる。
夏の日。 燃える蝉の声。
今、旅立ちの時。 新しい朝に。歩き出す。
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