かつてこれほどまでにFatimaの曲でキャッチーなメロディを持つ曲は無かった。
素直に聴けるメロディラインを持つLay作曲の「消せない雨」。
曇り空が晴れ空に変わっていく様を音という音で表現されており、
またFatimaと思わせるエッセンスも散りばめられている。
しかし、その曲調とは裏腹に、歌詞はとても皮肉かつ、様々なメッセージも含まれている。
「雨とは涙の象徴である。」
この考えを年頭に置いて、歌詞を見てほしい。
この歌詞には二つの涙に関するテーマが含まれている。
詩人が掬いあげた実話による悲恋。
詩人はその哀れ・悲しみを掬いあげ集め、歌にし、
やがてその詩人の歌は聴く者の涙を買い街中に広がった。
やがてその共感を得た悲しみも「悲しい話だったね」と昇華され、
街中に降り続いた涙雨は、晴上がっていく。
人にとって悲恋とはエンターテイメントの一種となる要素も持つ。
誰も不幸になる人間は居ないように思える。
だが、確実にどこかで、その恋の末路を体験した、
そう、
詩人が題材にした人物、実話のモデルとなった人間がその悲しみを思い出し泣いている。
忘れたいのに、街中に広がり、残り続ける。その涙は日陰で水たまりとなる。
TVで戦火の街を映し、片腕の少女が映り、
募金などの形で涙をお金で買う形となる。
世界中の悲しみが雨雲となって雨(涙)を降らす。
世界中の雨音…涙を見て、それを「可哀想だ!」と涙する人間がいる。
しかし、その涙の雨音の激しさにより、涙する人…その人が、
本来気づくべき…一番近い人間の雨音を、
涙に気付けないまま大雨のような涙に目をやり続ける。
やがて戦火のTVも下火になり、晴れ渡っていく日陰に貯まった近い人により涙の溜まり。
かき消された近しい人の涙と悲鳴は、徐々に自分が知らない場所から染み込んでいく。
気付いて欲しい人間が周りにいるにも関わらず、気付くべきところに気付けていない皮肉の詩。
「雨とは涙の象徴である。」
降り出した雨さえも いつしかは晴れ空になって流れてゆくけど
日陰に残る水溜り 黙って 引きずってた裾に 染み込んでいった
作曲者は異端ギタリスト、4ge。
セピアがかったシーンを訪仏とさせるようなジャジーかつ渋めの音色を奏でるギター。
過去、「赤い薔薇のスープ」で雰囲気ものを作ったが、これは別物。
全ての音が泣いている。
消せない雨とテーマは同じであるが、これはまた別の雨(涙)である。
涙の後を辿る…、思い出の雨が心を濡らすような歌詞。
憂いなどなく、迷いもない、互いに信頼していた二人。
月日が経ち、「かつて…」と、思い出・過去にすがり今を見なくなってしまっていた。
当たり前の様に ずっと側にいるんだと思ってた
残されて気づく、今の大切な人との距離。
気づき、離れていくことを止めなければならなかったことに対する後悔。
「さよなら」も「ありがとう」も言えず、どう思い出を消化してよいのか、
どこに向かえばいいのか解らないまま、呆然と立ち尽くす。
雨や雨(あめやさめ)…互いに流しあった、幾度と流れたはずの雨[涙]。
その悲しみに耐えきれず、雨で消えてしまった…無知な命。
廻る季節が肌に射す感覚 あの映画の続編 些細なほど残酷 「解る?」
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