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朦朧の実
† No Image†
kein/ カイン
朦朧の実/モウロウノミ
発売日:2000/1/21

※この情報は、2009/10/7 22:23のものです。

暖炉の果実

靴音とドアノックの音から始まる、おどろおどろしいダークバラード。
呪術的な妖しさの中、サビでの眞呼のファルセットも色気を漂わせる。

歌詞がとにかく難解で、前半と後半で書き方も視点も変わる。
ママという言葉から、「母親による過保護」の歌詞のように思えるが、
この歌詞は、「置き去りにされた子供が家族を葬る」物語であると考える。

母親が、子供に暖炉で食す青いリンゴ。
子供が毒され、死の世界へと向かうのを確認した後、自分も後を追う。

二人の死後、もう一人の子供がその二人の死んだ光景を目にする。
死の世界へと飛び立つ家族、取り残された子供に残る、
孤独と一緒に連れて行ってくれなかったことによる一つの復讐心。

大切な母親の唯一の願いである「大きな海で見守る」という願いを壊すかのように、
下水へ死体を遺棄するという救われない物語。

私にとって大切なあなたのためにたった一つだけの青いリンゴ
あなたにとって大切な‘私‘のためにたった一つだけの・・・



グラミー

keinの代表曲、「グラミー」。
ダークなハードロックで、一気に空気を変え、
シャウト有り、ギター・ソロの見せ場有りと、ライヴ映えする展開である。
keinとしてのカッコよさが凝縮されている。
ちなみに、オムニバスでも収録されているグラミーとはイントロが違う。

死刑囚が大勢の観衆の前で、死んでいく様子を描く。
眞呼の煽り曲らしい言葉のチョイスで、アングラ感が漂う危ない歌詞である。

歌詞カードでは意識が昏睡していく様子が見えるように文字がフェードアウトしている。

ああ・・・死刑台の罪人の観覧会ね
のた打ち回る僕に群集の歓声と喝采

蠢く・・・


FLASHBACK THE NEWSMAN

グラミーがストレート勝負なのに対し、こちらは、変拍子と早口、
ノイズ混じりに展開されるギターソロなど、変則的なエッセンスが満載した曲である。
実は、俺、グラミーも好きだが、こっちの方が好きだったりする。聴いていて面白い。

曲タイトルのように、この曲では、
これまでの残虐な黒歴史をフラッシュバックするかのように、
歴史をなぞるかのように実現していく主人公の物語である。

黒歴史が頭の中を再生していき、最後、精神が汚染され、末路に向かう一本の映画が描かれる。

狂気なものほど 人は夢を見る これもそうさ
一度だけの狂気 壊したところで 変らない 狂人のせいにして
シネマは始まる 月の光 誰のため



my evaluation



中古ショップでは割高に扱われていることもあるが、
実はオークション等でも割と見つけやすく、値段も定価と変わらず手に入るkeinの作品。

暖炉の果実で好みは分かれるかもしれないが、他二曲に関しては、名古屋系好きには堪らないはず。
ただ、非常に残念なのがやはり、音質。CDジャケットやケースが赤ケースとそこまで凝って、
なんで音質がデモテープ並みなのか…と意味が解らなくなる出来なのが残念極まりない。

しかし、その音質問題も無しにするほど曲内容は良く、下手なバンドよりも聴ける皮肉めいたアイテム。
keinに興味があるならこれを探してみるのがマストであり、ベスト。

以下は、暖炉の果実に関しての歌詞解釈の軌跡をメモ程度に残しておきます。
正解は眞呼さんしか知らないのであくまで個人的な解釈です。

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歌詞解釈が難解には変わらないが、よく見ると、
「雨音の記憶」の歌詞でも出てきた、キーワード、「黒い蛾」が目につく。


この「黒い蛾」という表現の解釈のやり方は、大きく二種類あると考える。
「物語を繋げるキーワード」「眞呼の中にある何らかの象徴」。
俺としては、後者を選びたい。

理由は、deadmanのPVでも蛾が出てきており、
そのとき、壊れやすい存在→ファン→蛾と象徴している。
今回はこの考えを前提にこの歌詞を切り崩していく。

その前に、先述したとおり、この歌詞は二人→三人と登場人物が増える点に注目したい。
母親視点から、もう一人の子供が出てくる。
その残された子供が黒い蛾に触れているのだ。

俺の考えだが、この黒い蛾というのは、朽ち果てた登場人物二人、
『母と本当に大切にしている子供』のことではないだろうか。

母親から、「見守る」という一緒にいる言葉と、「神の御旨」という死を連想させる言葉、
母親がやたらと子供に林檎を食べさせようとする台詞が繰り返されるところから、
本当に大切にしている子供に死を与えようとしているように感じるところから心中と取った。


最後、歌詞には、「君」「ママ」「僕」の三名。
「君」「ママ」の手には大きなリンゴ、「僕」にはリンゴが無いことから、リンゴ=愛情という考えも取れる。

「下水に…」は、「大きな海で見守る」という母親の言葉に対するものだと考える。
時間が経つたびに、考えは変わるかもしれないが、ひとまず、ここで区切らせていただく。